蹴りたい背中

いやいや、なかなか面白かった。時々読みながら苦笑いする自分がいた。
「共感」といえば、理科の実験で適当に5人グループを作れといわれて取り残されるのと似たような経験があるからか。
自分の席で一人で食べているとクラスのみんなの視線が辛くて、いかにも自分から孤独を選んだ、というふうに見えるように、こうやって窓際で食べるのが習慣になりつつある。運動靴を爪先にぶらつかせながら、私が一人で食べているとは思ってないお母さんが作ってくれた色とりどりのおかずをつまむ。

この「色とりどりのおかず」の方が一人で弁当を食べることよりも悲しい。

こんなにたくさんの人に囲まれた興奮の真ん中で、にな川がさびしい。彼を可哀想と思う気持ちと同じ速度で、反対側のもう一つの激情に引っぱられていく。にな川の傷ついた顔を見たい。もっとかわいそうになれ。

背中を蹴った場面の描写ではないが、これが「蹴りたい背中」への衝動。これが屈折した恋愛感情でないのなら、どういう気持ちなんだろう。オリチャンに夢中の「にな川」の一途でまっすぐな瞳への嫉妬じゃないか?(恋愛的嫉妬ではなく、一途なものがあることへの) そうでなければ単に「蹴りたくなる背中」だ。

でもこんなふうに存在を消すために努力しているくせに、存在が完全に消えてしまっているのを確認するのは怖い。

中学から一緒だった友達との距離感、その友達が属するグループの人たちとの距離感、部活の先輩や仲間との距離感、そして「にな川」との距離感、そうした人との距離感の微妙な描き方によって主人公の苦悩(または諦念?)が伝わってくる。

言葉には表せない気持ちや人間関係を描いているこの「スタンス」でいけば、将来的には著者の人間的成長とともに「狭い世界」は広がっていくのでしょう。今後も期待します。

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