いま台風4号がまさに日本を横断しようとしていて、ふともし明日が選挙の投票日だったらどうなっていただろうか?と想像してみたがそれは空想のことなのでここに書くものでもない。

選挙に関して2つの興味深い記事があった。
1つは
だから自公悪政はまだ続くという悲観論(ゲンダイネット:07/7/6)
ゲンダイネットにしてはといっては失礼だが面白い悲観論だ。
1つはいまは明らかに安倍政権にとって何から何まで不利な状況だ。
だからこそ気まぐれな無党派層について
政治評論家の山口朝雄氏
過去の選挙を振り返ると、無党派層は自民圧勝予想のときは野党に入れ、野党勝利が見込まれるときは自民を勝たせる傾向があります。さすがに今回は自民を勝たせたいと思う無党派は少ないでしょうが、29日の投票日は全国的に夏休みで、夏祭りと重なる地域も多い。家族サービス優先で、選挙は二の次三の次になる恐れはあります
自民に入れないのではなくて、そもそも自分一人くらい選挙に行かなくたって体勢は今回は野党が優勢だろうからいいだろう、と投票率が下がり、結果的に与党辛勝ということになりかねないということ。

2つ目は「この国の選挙民が異常なまでに保守的なこと」ということをあげているが、それよりは次の文の方が何となく実感がある。
政治評論家の有馬晴海氏
今の有権者には民主党は政府の敵失に乗じ、キャンキャン吠えているようにしか映っていません。『年金不安を解消できるのは民主党』という強い熱意がまるで伝わってこないのです。現状に不満を抱いても、有権者の多くは結局“寝て”しまうのでは、と危惧しています
何なんだろう、いまの政権に不安を感じるなら野党に入れればよさそうなものを何となくそれはそれで不安に思ってしまう心理というのは。民主党がどうも頼りないというイメージがあるのか。

3つ目は
悪政への怒りより、自分の利害、損得の方が大事と考える選挙民が多いことだ。消えた年金問題でも、年金相談で自分の納付記録に問題がないと分かれば、「もう、どうでもイイや」と思う利己的な国民が大半ではないか。相次ぐ大臣の不祥事や年金に対する不安が選挙の目前にあるものだから、どうもそちらに目が移りがちだが、選挙って本来そうではないだろう。
というのは次の記事に詳しく書いてある。

【正論】佐伯啓思 宙に浮いた年金に翻弄される参院選(IZA:07/7/14)
当然のことながら、「宙に浮いた年金」は、そのこと自体に問題があるにせよ、参院選の行方を左右するテーマではありえない。本来は、今回の参院選の中心的な争点は、安倍政権が推し進めている「戦後レジームの見直し」にあった。具体的には、すでに着手した教育行政の見直しや、イラク、北朝鮮をめぐる日本の対応、そして憲法改正にあった。これ、これ。いままで安倍政権がやってきたこと、そしてこれからやっていこうとすることに賛同するのか否かをそれぞれの有権者が考えるはずのものじゃなかったか。

 憲法改正を打ち出した内閣の最初の選挙であり、しかも参院選の争点としてこれ以上ふさわしいことはなかった。〜中略〜しかし「宙に浮いた年金」の争点化によって、憲法改正をふくむ「戦後レジームの見直し」という真の論争点が隠蔽(いんぺい)されてしまうのは「代表者によって国の根本問題を論議する」という参議院の理念からしても問題がある。仮に参議院で野党が圧倒的勝利を今回収めたとしても、衆議院での議席が圧倒的に与党が多いなら「重要法案が次々と参議院で拒否されるという異例の事態にもなりかねない」。結局衆議院に差し戻されて可決されてしまうのなら参議院の存在意義がよくわからない。それはそれでまた別議論か。

最後の締めは長いが引用する。
年金にせよ、医療にせよ、個人主義的な市場原理では解決できる問題ではない。むしろその制度の安心感が市場競争を支えている。「不安」は、市場競争や自己責任を進める結果、それを支えるはずの社会生活の基盤が崩壊するのではないか、というものだ。ここには、自己責任や市場主義による成長優先政策か、社会の共同生活の枠組みの安定か、という対立がある。「年金」不安はそのことを背景としている。しかし、与党も野党も問題の設定に失敗してしまった。結果として「宙に浮いた年金」という姑息(こそく)な論点に勝敗を委ねることになるとすれば憂うべき民主政治というほかない。社会生活の基盤が崩壊するのではないかという不安の上で自己責任のもと市場競争をしていたら、これ以上の不安はないだろう。
様々な不正や不安は、個別の現象はたとえばその企業にあったとしても、その背景には法律の不備や抜け穴があったり、怠慢なお役所仕事にあったり、現実や現場を知らないでできてしまった法律であったりするのではないか。

台風が来て選挙に行けそうになかったら期日前投票までしても投票しようなどという人がどれくらいいるだろうか?