IEも直ったことなので、久しぶりにインターネット書道を。

今回はいつもの禅語からではなくて、テレビで以前、瀬戸内寂聴さんが色紙に書いていた言葉を書いてみました。

「忘己利他(もうこりた)」
文字通り己を忘れ、他を利する精神のことです。


[全体に字が細くなってしまった。意味合い的に「己」が太くなるのも良くないのだが。。]

いま、読売新聞の連載特集で「漂流する倫理」というものをやっていますが、ウェブ版には載っていないので、転記で引用します。

2007/5/5紙面より
利己とは逆に、他人の幸福を願う利他の精神。東洋大の中里至正(よしまさ)名誉教授(社会心理学)が手がけてきた日本人の利他心に関する調査の一つに、小学生にゲームをさせ、勝った子が、もらったチップをどう使うかで思いやりの度合いを測るという実験がある。1980年代半ばまで、余ったチップを負けた子に分け与える子の割合は約80%に上ったが、80年代後半に突如40%台に下がってしまった。
「ここで手を打たなければ殺伐とした社会が到来するという当時の懸念が、現実のものになりつつある」。中里名誉教授は警告する。
80年代後半というと自分が中学生の頃であり、その少し前からゲームセンターが流行してその80年代後半あたりから家庭でもテレビでゲームができるようになった、そんな時代だった。

ゲームが悪いといっているわけではないのだが、時代背景的にそんなときだったということ。
そして80年代後半から90年代にかけてのバブル景気。
その後の長期不景気。
そしていま格差社会なんていわれる時代。

みんな自己保身に走って、他人のことなど構っていられないということなのだろうか。

基本的に人間は自分のことが好きで自己中心的で自分のことしか考えないというのは、自分も含めてそうであろう。

けれど、あまりに利他の精神がなくなると弱者への思いやりとまでいかなくても、想像すらできない人たちばかりになってしまうのではないだろうか。

たとえば今日の読売新聞の記事「障害者、企業並み残業しても同意で「訓練生」…厚労省」にしても、身の回りにそのような人がいるか、あるいはそういったことに関心のある人でもなければさっと読み飛ばしてしまうような記事かもしれない。

逆にあまりに自己中心的すぎることが、最近のモラル崩壊と言われるような現象を引き起こしているのだろうか(理不尽で自己中心的な要求を突きつける人とか、周りや他人の目を気にしないで何かをする人とか)。

偉そうなこと書いてる自分も、自分第一であることは否定しない。
けれども、どこかで「忘己利他」の精神を生活の中でふと思い出せるようにしておく心構えくらいは持っていてもいいだろう。

「もう懲りた」では困る(すいません、、ダジャレオチで……:偶然気付いてしまったので。。)。


<引用していませんが最初の引用記事にはマークス寿子さんも別のコメントを寄せています:親子間に規範の継承が途絶えたとのこと>
日本はなぜここまで壊れたのか
マークス 寿子

4794215347

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