よく企業などが何か不祥事を起こしたときにトップが責任をとって辞任するということがある。
どこの誰という話ではなく一般論として。
不祥事の内容にもよるだろうが、それが発覚してあまり時間をおかずに辞任したとしたら、それは単なる「逃げ」じゃないのか?
辞任すれば、職を失うわけだから「経済的制裁」を受けることになる。
再びどこかで働くにしても「不祥事を起こした経営者」というレッテルを貼られるという「社会的制裁」も受けることになる。
それでもって「責任を取った」ということになるんでしょうか?
本当に責任を感じるのだったら、おかした不祥事に対応策があるのならばそれを全うして「もう同じ過ちはおかさない体制・システム・制度にしました」といって、それからやめてもらうのが一番の筋じゃないのかなと思う。その間はもちろん減給。
次に問題だと思うのは、辞任した後でもやはり食っていくためにはどこかで働かなければならないわけだが、どこで何をしているかが問題。
それが大企業の子会社の役員ポストとか関連会社の管理職なんかについてたのではあまり意味がないような気がする。収入が減ったとなればそれなりの経済的制裁を受けているわけだけれども。
逆に、その失敗を活かして二度とそうならないように尽力をつくすために同じ業界の別の会社でその知識や経験を活かすというのなら、また別だ。
「引責辞任した人のその後」シリーズなんて感じでビジネス雑誌あたりで連載したらどうかな。すでにそういうのってあったのかな。あまりいままではそういう雑誌は読んでこなかったので知らないのですが。
ないのならそういう企画を提案してみても面白いんじゃないでしょうか。
フリージャーナリストとか、雑誌編集者関係者とか。
ボツ?
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責任といえば、1つの現象についていろんな関係者が絡んでくる場合は、責任の押し付け合いになる。
どっちの言い分が正しいのかわけがわからなくなり、結局どこが責任を持つのかあいまい。
それが人の安全や生命に関わることともなると、国や地方自治体が税金から被害者に補助を出すような形にもなる。国も間接的に関わっているのなら責任の一端はあるのでわからなくもないが、本来はその不祥事を起こした当人・関係者らが負担すべきものだろうけど。
「責任」をキーワードにした
↓この本が気になります。
「責任」はだれにあるのか
小浜 逸郎
PHP研究所 2005-10-15
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責任についての議論が喚起されれば
「あとがき」のとこがおすすめ
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出版社/著者からの内容紹介
最近わが国では、企業の社会的責任、政治家の責任、事故を起こした者の責任など、責任を追及する声がひときわ高まっている。だが、いったい「責任」という概念はいかなる根拠に基づいて建てられているのか。正しい責任のとり方とは。人は責任をどこまで負えるのか。
※追記:12/20
■許される「謝罪」と「進退」とは何か(田中 辰巳 リスク・ヘッジ代表取締役)
↑こちらでプロがわかりやすくまとめています。
▼展開次第で対応を変えるべき
謝罪や進退についてはまず、謝罪すべきか否か、辞任すべきか否かを考えなければならない。それは、責任の所在と大きさによって決めるべきである。企業に危機をもたらしたトラブルを誰が起こしたのか。そのトラブルにどの程度の責任があるのか。これらの2つの点を勘案する。