週刊エコノミスト12/13より
問題多いTVゲーム「有害指定」
今年5月、あるテレビゲームソフトが神奈川県で「有害図書類」指定を受けた。地方自治体の条例で規定される有害図書類指定とは、悪影響となる恐れがある書物・映像作品を、18歳未満の青少年に販売することを禁止するものだ。主に成人誌など性的な表現を扱う媒体になされてきた措置で、テレビゲームソフトをしていしたのは、神奈川県が全国で初となった。
まずタイトルをよく見ると、「TVゲームを有害指定とするのが問題だ」と読める。そこでこの記事をどういう立場の人が書いたのかが問題となってくる。
奈良原士郎(マイクロマガジン者『隔月間ゲーム批評』編集長)氏とのこと。
その雑誌がどのような雑誌なのかはわからない。
指定した神奈川県知事のインタビューとゲーム業界代表の立場としてコンピュータエンターテイメント協会の専務理事のインタビューも併記している。
ここで取り上げているゲームとは「グランド・セフト・オート?」(以下、GTA?)。このゲームはそのコンピュータエンターテイメント協会(CESA)から優れた作品として表彰されてもいる。
そのゲームの何が有害かというと「暴力・残虐表現」だという。
テレビゲームは通常、ゲームの本筋から外れる動きはできない。モンスターを攻撃することができても、それ以外の対象を攻撃したり、商店を襲って強奪することは不可能だ。しかし、GTA?はプレーヤーの自由度が高く、本来マフィアと戦うはずの主人公が、意味もなく通行人を射撃したり、バットで殴りかかったりすることができる。究極的な高いリアリティーを誇っており、そのゲームシステムは当時高く評価された。
なるほど。技術的には自由度を高めるのが難しくてそれを実現しているから評価されているんでしょう。
けど、それが上記のような暴力行為をゲームとはいえできてしまうのが問題だとして、自治体が有害指定したということ。
ここでこの記事の筆者はCESAにしてもゲームの内容によって年齢別にソフトを分類するレーティングとよばれる自主規制をかけているのだからわざわざ自治体が有害指定するまでもないのではないかといいたいようだ。
神奈川県知事松沢成文氏へのインタビューの一部
神奈川県内の家電量販店66店舗のうち60店がGTA?の販売をやめたことを考えると、実質的な販売規制ではないか。
■条例は18歳未満の者への販売を禁じているもので、販売そのものを禁止しているのではない。販売店が「悪い評判のたったゲームは売れない」「販売を続けていると店の評判に関わる」と考え、販売をやめるのは自由ではないか。県は取り扱いの中止を求めているわけではない。「規制が行き過ぎている」と言われても、困ってしまう。
ゲーム製作者の創造性を萎縮させるとの意見もあるが。
■「青少年の健全な育成」と「表現の自由」を天秤にかけて判断しなければならないが、人間を殺すことをテーマにしたゲームを青少年が買える状況にしておくことは、社会的な悪影響がかなり大きい。ましてやテレビゲームはプレーヤー自身が主人公になり、第三者として見る映画などと違い青少年に与える影響は大きい。
私は「テレビゲームがすべてダメ」という”ゲーム絶対悪論”の立場ではない。私の娘もゲームをしている。ただ、行き過ぎた表現や過剰な刺激により、青少年への悪影響が懸念されるゲームソフトについては、一定の歯止めをかけなければならないと考えている。
まったくもってごもっともであるし、賛同する。
これに対してCERO(コンピュータエンターテイメントレーティング機構)側はこう述べている。
暴力的表現が強いソフトについては「18歳未満禁止」との表記も検討するとのことだが、「18禁ソフト」は制作・販売をしない方針を変えるのか。
■現時点で何か正式に決まったわけではないが、「18禁ソフト」の制作・販売を認めるということではない。ただ、ゲームで遊ぶ人たちの多くが20代以上になっている現状をふまえ、大人向けの娯楽があってしかるべきではないか、と考えている。
一方で、青少年の健全な育成という問題は考慮しなければならない。青少年には不適切な情報も含まれていることを明示して、18歳未満の人たちが購入できないようにする必要がある。そこでCEROのレーティングのなかに、そのための新たな区分があってもいいのではないか。
レーティングの自主規制を尊重して欲しいということだそうだ。
論点は自治体が有害図書類として指定するまでのことか、業界の自主規制にまかせるだけでいいのかということ。
しかしここではそれには触れずに、違和感を覚えたのがCEROの「大人向けの娯楽があってしかるべき」という部分。
もちろん、そのような娯楽はあってもいいだろう。
けど、人を殺す、しかも自由度の高い何の関係もない通行人さえ攻撃できるようなゲームのどこに娯楽性があるのかわからない。
現実にはできないことができるからそこから快楽を得るということ?
人間にそういう快楽を求める心性がある、そしてそれをゲームを通して消化・昇華するということなのか?
クリエイターの創造性は別のこの分野のゲームでなくても発揮できるかとは思うのだが。
バイオレンスなゲームの娯楽としての有用性がわかったようでやはりわからないような。。
しかし、残虐性の高いゲームが子どもに悪影響を与えることは、(科学的根拠はないが)あるだろうことくらいは想像できる。
この記事は次のように締めくくっている。
そして議論の場に、「悪影響」を受ける対象者である青少年の声を反映させなければならない。今回の論争は、筆者のような「大人になったファミコン世代」と「ゲームを知らない世代」ばかりが熱い論争を繰り広げ、肝心の対象者が置いてきぼりになっている。最大の問題は、当事者を無視してすべてを進めようとする感覚ではないだろうか。
まあ、たしかにそうなんですが。。
ちなみに自分は「ファミコン世代の頃のゲームは知ってるけどいまのゲームは知らない人」です。
※追記:12/29
■『Grand Theft Auto』最新作、性的な「隠しシーン」疑惑(初出は05/7/11)
※06/1/4
■夕刊フジ記事(05/11/29)