2008年09月30日 21:13
ネットいじめで人間不信
子供に携帯電話を持たそうかどうしようか悩んでいる親御さんも多いでしょう。
おそらく心配なのは、いわゆる出会い系サイトや有害サイトなどでトラブルに巻き込まれるのではないかとか、プロフなどで個人情報が漏れたりそこでトラブルになったりするのではないかとか、そういうものだろう。
子供どうしのメールのやりとりくらいならいいだろうと思いきや、リアルな世界でのいじめがいまやこうした携帯を利用したネット・メールの世界でのいじめに移行しているらしい。
現実の教室では何事もないかのようでいて、実は誰かが標的にされているかのような、そんな実例をあるメルマガで知りました。
うつ病クエスト 〜うつ病と戦うみんなのマガジン〜
No.193 2008.9.30 より
http://archive.mag2.com/0000119928/index.html
全文引用したのも、最後にあるように被害にあった子の願いがあったからです。
しかし、こうしていじめる側の心理というのはどういうものなのだろうか?
小学生であれば単なる「いたずら心」が携帯というツールを利用した現代版いじめなのか? 中学生程度であればあきらかに確信犯のようにも思える。
あるいは、本当はそういう仲間には加わりたくないのだが、そうしないと今度は自分が標的になってしまうことを恐れてやっているという子もいるのかもしれない。
「流さないとお前の写真も流すぞ」と脅し、無関係の子からチェーンメールを出させる。。
「子供は残酷な生き物」というが、これは計画性といい姑息さといい、残酷ではなく「卑劣」だ。
自分がそういうことをされたらどんな気分になるのか想像できないのだろうか? 想像できるからこそ加担してしまっているのか?
こんなことされたら人間不信にもなるだろう。
このケースの場合、誰に相談すればいいのかわからなくて混乱したようだが、もし親を通じて学校に通報した場合どうなるのだろう?
もっと事態を悪化させるのか、学校が動かないのか、それとも親にすら相談できないのか。。
「いじめ」が問題になってかなり久しいが、ここにきて携帯電話という新しいツールが増え、ますます陰湿になっている。
他人を攻撃、または排他するというのは人間の持っている性(さが)なのだろうか??
この子の場合、フリースクールという場に落ち着いたようだが、人間不信のまま引きこもってしまうこともあるだろう。どこかに居場所があって、信頼できる人がいれば、どこでだって勉強はできる。人と関わらなくなる方が本当は怖いことだ。
おそらく心配なのは、いわゆる出会い系サイトや有害サイトなどでトラブルに巻き込まれるのではないかとか、プロフなどで個人情報が漏れたりそこでトラブルになったりするのではないかとか、そういうものだろう。
子供どうしのメールのやりとりくらいならいいだろうと思いきや、リアルな世界でのいじめがいまやこうした携帯を利用したネット・メールの世界でのいじめに移行しているらしい。
現実の教室では何事もないかのようでいて、実は誰かが標的にされているかのような、そんな実例をあるメルマガで知りました。
うつ病クエスト 〜うつ病と戦うみんなのマガジン〜
No.193 2008.9.30 より
http://archive.mag2.com/0000119928/index.html
神谷コウスケの「心理学方程式」
ネットいじめについてお話しましょう。
これは、私が活動しているボランティア活動での出来事。フリースクールでの出来事です。
いや、フリースクールと言っても、京都のあんなところではありませんよ。
基本的には、不登校になってしまった、そういうところまで精神的に追い詰められた子どもたちが集っている場所、それがフリースクールです。
そこで『ネットいじめ』にあった子どもの話を聞きました。
ネットいじめと言っても、メールやホームページで悪口を書かれているわけではありません。
それらの便利さを悪用した方法が、既に存在しているのです。
1.集団で1人のターゲットを決める
2.見られたくない写真の盗撮が基本
3.トイレ、体育の授業前後など、気づかれないように撮影する
4.撮影する人間は携帯電話をこっそりと持ち、隙を狙って撮影する
5.他の仲間は、シャッター音が聞かれないようにするなど、その支援を行う。
6.撮影した写真は数日寝かせてアップする。(撮った時を本人にわからせないようにするため)
7.「流さないとお前の写真も流すぞ」と脅し、被害者の写真をチェーンメールで流す
と言う作戦だそうです。
その子は、実際に着替え写真を広められ、不安になったそうです。
そう、「この学校の中では誰も信じることができないのだろうか」と。
この件を相談しようにも、誰が犯人で、誰が協力者で、誰が自分の味方なのかわからない。
そんなところにいられない。それが不登校になったきっかけの1つだそうです。
信じられるのは誰?
そんなことを考えながら暮らすほど、つらい日々はありません。
神谷さん、学校に行くことだけが正しいとは思いません。生きていくためには、学校に行かなくともいいって思います。勉強はどこでもできる。自分が勉強と思えば、どこでだってできますし。
自分を守るために、学校以外の場所に居場所を求める。当然のことだと思います。
本当に悲しい世の中になりました。
心の病になるとかならないとかじゃないですよ。人間が信用できないんですよ。
これが会社だったらどうなります。足を引っ張り合い、影で悪口を言い合い・・・何もいい結果が生まれそうにないです。なんと非生産的で、ストレスがたまる暮らしになることか。
ましてや、小学校からこのような『ネットいじめ』が当たり前になってる世界です。
大人が何を言おうが、今の子どもたちが将来の夢などもてない状況であることは、間違いないでしょう。
今日これを書いたのは、フリースクールで出会った子の願いでもあります。
「私がやられたことを書いておけば、少しでも誰かが助かるかもしれない」
そんなこと、子どもたちに思わせないでくださいよ。悲しいじゃないですか。
全文引用したのも、最後にあるように被害にあった子の願いがあったからです。
しかし、こうしていじめる側の心理というのはどういうものなのだろうか?
小学生であれば単なる「いたずら心」が携帯というツールを利用した現代版いじめなのか? 中学生程度であればあきらかに確信犯のようにも思える。
あるいは、本当はそういう仲間には加わりたくないのだが、そうしないと今度は自分が標的になってしまうことを恐れてやっているという子もいるのかもしれない。
「流さないとお前の写真も流すぞ」と脅し、無関係の子からチェーンメールを出させる。。
「子供は残酷な生き物」というが、これは計画性といい姑息さといい、残酷ではなく「卑劣」だ。
自分がそういうことをされたらどんな気分になるのか想像できないのだろうか? 想像できるからこそ加担してしまっているのか?
こんなことされたら人間不信にもなるだろう。
このケースの場合、誰に相談すればいいのかわからなくて混乱したようだが、もし親を通じて学校に通報した場合どうなるのだろう?
もっと事態を悪化させるのか、学校が動かないのか、それとも親にすら相談できないのか。。
「いじめ」が問題になってかなり久しいが、ここにきて携帯電話という新しいツールが増え、ますます陰湿になっている。
他人を攻撃、または排他するというのは人間の持っている性(さが)なのだろうか??
この子の場合、フリースクールという場に落ち着いたようだが、人間不信のまま引きこもってしまうこともあるだろう。どこかに居場所があって、信頼できる人がいれば、どこでだって勉強はできる。人と関わらなくなる方が本当は怖いことだ。